ゴミ拾いは自己満足か?

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ゴミを捨ている人にも、言い分があって、近くにゴミ箱がないとか、掃除人の仕事を作っているとか、なんとか正義を言って捨てていくのですが、

 

ゴミ掃除の人の仕事を奪っているなどと、言う人もいるらしいが、

 

ほとんどの日本の家では、自宅の前などにゴミが捨てられて、空き缶やビン、それに菓子クズが散らかっていたら、たいがい、その家の住人が、自宅の前はきれいにします。

 

無償のボランティアです。

 

それを、わざわざ、ダスキンや、お掃除本舗などの、清掃業者に毎度、依頼して1回5000円や10000円払っていては、庶民は生活できません。

 

また、市町村の役場に連絡しても、それくらいは、自分で片付けてくださいと、ひにくを言われること間違いないです。1~2回なら、許されるかもしれませんが、毎日、役場の人が、清掃できませんね。

 

で、・・・・。

 

結局は、ゴミを捨てられると、近所の人が、無償ボランティアで掃除するということになります。

 

 

掃除人の仕事を作るどころか、近所の住人の無償ボランティアの仕事を作っているだけです。

 

 

仕事を作っていると言って、ゴミを捨てるなら、ゴミ箱以外に、ゴミを捨てる時は、50円なり100円なり、ゴミと一緒に、その場所に置いて行ってほしいですね。

 

そうすれば、近所の住人の無償ボランティアではなく、仕事を作ってあげています。

 

ゴミを捨てる時は、チップ(お金)も置くような、粋(イキ)なことをするなら、掃除人の仕事を作っていると、言って捨てても、道理があるかもしれません。

 

まぁ、そのお金を拾う人と、ゴミを片付ける人が、同じとは限りません。お金だけ、めざとく拾って、ゴミは拾わない人の方が多いでしょうから、・・・・。

 

 

それで、自治体の掃除というのも、あっても年に数回、1回とか2回とか少ないので、ゴミを捨てる人が多く、拾って片付ける人が少ないので、どんどん汚れていきます。

 

汚れた街並みで、人々は生活しているのです。

 

じゃ、年に数回のゴミ掃除の合間を埋めるには、もしくは、年に1度も掃除されない場所を掃除するには、やっぱり、無償のボランティアが掃除するしかないのです。

 

民間企業に掃除を依頼できれば、良いのですが、そんなお金は、庶民には毛頭ないのです。

 

寄付で集めようとしても、趣旨に必ず反対して賛同しない人もいるので、お金を集めて、掃除を民間企業に依頼するというのは、たいへん困難なのです。

 

そうすると、自然と、今の形態、つまり、無償のボランティアが、近所の住人たちですが、そういった人々が、労力を無償で提供して、町をきれいにするしかないのです。

 

ただ、それだけです。

 

 

そして、町がきれいになると、気分が良い。

 

町を歩いていても、ゴミだらけの町と、きれいな町では、この気分が違います。

それは、満足につながります。

 

つまり、ゴミ拾いは自己満足か?

 

 

いえ、違います。

 

少なくとも、その道を通るすべての人が、汚い町を歩くよりも、きれいな町を歩いた方が、満足度は高いわけです。

 

 

そうなんです。

無償ボランティアで、町を掃除している人々は、ただ自宅の前や近所をきれいにして自己満足しているだけではなく、

その道や町を歩く、多くの人々をも、自然と満足させているのです。他者満足。

 

 

ゴミ拾いは、他者満足なのです。

 

 

俺は、満足していないとか、私も、満足していないとか。

 

そう思ったり、言ったりする人もいるとは、思いますが、

 

 

それは、気が付かないだけで、自然と、きれいな道を歩いて満足しているのです。

 

 

満足していることにさえ、気が付かない。

 

 

よくTV番組で、地方の景色が素晴らしい田舎にいって、地元の人にインタビューする光景がありますが、

 

いゃ~、素晴らしい景色ですね。お父さん!

 

お父さん「そうかい?毎日、見ているから何とも思わない・・・・」

 

 

これです。

 

もはや、当たり前になってしまって、何とも思わないのです。

 

満足というのは、最初は気が付くけれど、毎日の生活になると、当たり前になって、気が付かなくなるのです。 

 

このお父さんも、はじめは、満足していたはずです。それが、毎日の生活で、きれいな景色は当たり前になり、満足していることに気が付かないだけなのです。

 

なので、気が付かないだけで、満足という効用は、続いているのです。

 

人々が、満足するということは、幸福度が、気が付かないうちに上がっているということであり、生きているうちは、人々は、満足して生きた方が、幸せな人生になっているのです。

 

 

気が付かないけれど、ゴミ拾いして、掃除することは、自己満足を通り越して、他者満足させて、知らず知らずに人々を幸せにしているのです。

 

さらたちも、日曜清掃するけれど、1日1000人くらいは、通る道なので、さらたちも知らず、その道を通る人も何も知らず、きれいにした道を通っている1000人の気持ちをハッピーにしているのでした。

 

おしまい。